大切にしているモノの、その奥にある本当に大切にしたかったことに気付いた体験

今日はNLPではなく、ブログでーす!

山田家のドタバタな日常をぜひご覧ください♪

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「お母さんの化粧品、勝手に使っちゃダメっていったでしょ!」

 

6歳の娘が1本12000円するクリームを盛大に顔に塗りたくっていた。

つい頭に来てしまい、大きな声で怒鳴ってしまった。

 

3年間通った幼稚園の最後の劇音楽発表会で「輝夜姫」のポジションを狙っているらしく、見た目を気にした娘が「お母さんのクリームを使えばキレイになれる」と思って使ったらしい。

 

娘の気持ちはわかる。

私も子供のころに母の鏡台にあった化粧品を使ってはよく怒られていた。

鏡に向かっていい香りのするクリームや口紅を、筆やスポンジを使って顔に重ねていっていく母。そうやって少しずつきれいになっていく母の横顔に憧れていたのだ。

だから鏡に向かって、同じ化粧品を使えば私も同じような魔法が使えるようになるのでは?と思ってこっそりいい香りのするクリームを塗りたくり、口紅で顔に絵を描いていた。

 

今は、母の気持ちがわかる。

大事にしている物が、なくなる恐怖。

しかも消耗品なのに、お高いものが知らぬ間になくなる恐怖。

本当は、そこまで高くなくても良いはずなのにわざわざ高いものを使っている罪悪感。

若くて肌の柔らかい子供にはまだ早いだろう、という小さな、そして隠し切れない怒り。

 

そう、年を重ねた女にとって化粧品は高級品で、上等なものほど効くような気がするものなのだ。

 

そんなお金があるならば、子供にもっと美味しいものでも食べさせてやればいいのに。

そんなお金を使う余裕があるならば、もっと学びにつながるような蓄積されていくものにかければいいのに。

そうやって、自分の理性が突っ込んでいるにもかかわらず、私は高価な化粧品に対する期待を止めることができない。

 

上等・高級と言われるものほど広告に力を入れている。気の利いた広告がある。

材料一つ獲得するのにどれほどの苦労があったのか。

ブレンドするたびどれほど繊細な技術を要するのか。

商品を創り上げるまでにどれだけの人たちの手がかかっているか。

商品が顧客の手に届くまでの間にどれだけの専門技術を持つひとたちの気持ちが込められているか。

 

値段が張るものほど広告の読み甲斐がある。

それだけの苦労を重ねてきたのなら、きっと深い信念があるに違いない。

顧客にどうなって欲しいという期待が込められているのか。

その商品が創り上げられてきた背景を読むほど、その商品への期待値が膨らんでいく。

 

そしてふと、思い出す。

このクリームを使うことで本当に得たいものは何だったのか。

今思えばそれはただ見た目を美しくしたい、ということだけではなかったような気がする。

 

『真剣に作ってきた人の商品を大事にできる生き方をしていきたい』

それが一番本当の願いだったのではないだろうか。

 

年を重ねるたびに出てくる、シミやしわを見るたびに苦労が蓄積され、表に浮き出ているような気がする。

もう柔らかくはない皮膚に触れるごとに感じる、頑固な性格や意地汚さに気が付く。

そういう、自分の見たくはない本質に立ち向かう姿勢を支えてくれるような気がして手に入れたのではなかったか。

 

希少な材料の獲得や繊細な技術を要する商品づくりの道は簡単ではなかったかもしれない。

ルートの確保や調合する技術、品質を見極める人材の活用など、誰にでもできることならもっと手軽な価格でどこにでも売られている事だろうと思う。

どんなに苦労があっても、本当に実現化したいと思う気持ちをやり通した結果、「12,000円」という価格になったクリーム。

そしてその高価な商品を顧客の元へ何としてでも届けたいと思って組み上げられる広告。

 

そういう心遣いがされてきた物たちを余裕で受け取れる生活こそを重ねていきたい。

その“度量の大きさ”が本当に欲しいものだったのかもしれない。

 

若くて肌の柔らかい、そのままで十分美しい娘に、この12,000円のクリームを使わせるわけにはいかないが、怒って怒鳴って終わり、というのはその姿勢に合わない。

 

娘がいつもきれいな肌を保てる食事を摂ることができる、早寝早起きの生活をサポートすること。

欲しいものを欲しいと、望みに対して積極的な行動をとることができる内面のサポート。

クラスで立候補したときに周りから応援され、選ばれたときに責任をもってやり遂げることができる自信と実績を重ねていくこと。

 

そのためには話し相手となり、小さなことにも相談に乗り、目先の個人的な欲望よりも先を見据えたお互いの共通の目標を追うことを親自身が示すことだろう。

 

化粧品を作った人たちの真剣な想いを受け取ること。

『大事に使う』ということは、決して“減らないようにすること”ではなく、その商品を作った人たちの姿勢にふさわしいふるまいを重ねていくことなのだろう。

 

終わり